講習を企画する立場として、これが一番ハードルが高いです。
逆に教えるのが簡単なのは医療従事者です。助けるのが当たり前。逆に助けられないと問題になるような立場、ご本人もそのことを自覚しています。ですから、学ぶことのモチベーションへの働きかけはほとんど不要で、ただ技術と知識を提供すればOK。
もう一つ簡単なのは、家族や親しい人の緊急事態を想定した講習。これも「何が何でも助けたい!」という受講動機やモチベーションがはっきりしていますから。
逆に難しい場合があるのは、学校の先生とかスポーツインストラクター、警察官などの「市民救助者」の立場の人たち。社会的には救護義務があるのですが、日本の風土的に、また職業意識的にあまりそれを意識していない場合が多いようです。素人が余計なことをしない方が良い、という誤った事なかれ主義でいる場合が多いようです。
こういった対応義務がある市民に対しては、まずは「自分がどうにかしなくてはいけない」という危機感を持ってもらう働きかけをして、学ぶ動機を整理しておかないと効果的な学習には結びつきません。
さて、すでにお気づきかも知れませんが、救命講習も含めて大人がなにかを学ぼうとするときに、真っ先に問題になるのが、その動機、モチベーションです。
なぜ学ぶのか? それを身につけたらどんなメリットがあるのか? 自分の日常に何が変わるのか?
このあたりがはっきりしていないと、効果的な学習にはならないと言われています。
ですから、私たちインストラクターは受講対象に合わせたモチベーションアップの働きかけをあれこれ工夫するわけです。
そんな流れで考えたときに、教える側としていちばん難しくて苦労するのが、職業義務はなく、家族ではない第三者を助けたいと考える人たちです。つまり、道ばたで倒れている人がいたら助けたい、といういわゆるバイスタンダーとしての活躍を想定している場合。
きっかけは、なにか実体験があってあのとき思うように動けなくて悔しかったから、とおっしゃる方が多く、それはとても頼もしく、嬉しくも思うのですが、「動機」という点で突き詰めていくと、いろいろと難しい場面が出てきます。
簡単にいうと、CPRやファーストエイドは、きれいごとではない、という点です。
テレビドラマであるようなヒロイズムで、気持ちと物資の準備なしに取りかかると後悔する場合が多いかもしれません。
血液や唾液、体液による感染のリスク。C型肝炎、B型肝炎、HIV。自分自身が発症しなくても家族に病気を移すキャリアになる可能性があります。
そうでなくても、救護にあたり服や手、膝が汚れるのはあたりまえ。場合によっては会社に遅刻する、とか。
また、駅や公共の場で救護活動を行うと、野次馬が集まってきて、茶々を入れられたり、「素人が世余計なことをするな!」と脅されたり、無遠慮に写真を撮られてTwiiterやfacebookに投稿されたり。
いわゆる心肺蘇生法講習は、善意に満ちた協力者しか想定していませんが、現実は厳しいものがあります。私自身、見ず知らずの人への救護で、本人や仲間から拒否されたり、脅されたことは何度もあります。
そんなリスクを負って、嫌な思いをしてまで、助ける必要があるのか?
「お作法」を教えるだけの講習であればそこまで考える必要はないかもしれません。しかしガイドライン2010のメインテーマでもある implementation (実行性)の向上を考えたときに、応急救護に関する現実的なリスクについて講習会で伝えることは有用とされています。
そこで私たちは、Advanced CPR講習として、シミュレーションを中心としたリアルな対応を体験してもらうことがありますが、そこで妨害的な野次馬への対応などを体験してもらうと、皆さん、とても意気消沈してしまいます。
例えシミュレーションとわかっていても、もうやりたくない、という思いに駆られます。
そうなったときに浮上してくるのは、「何のためにこんなことをしているだろう?」という応急救護の根源に関わる問いです。
そう、モチベーション、動機なのです。
家族を助ける、顧客の命を救う。
そんな大義名分があればいいのですが、バイスタンダーCPRやファーストエイドには、実は明確な理由、動機がないのです。
ゆえに軽く表面をなぞるだけならともかく、中身のある講習展開をしようと思うと、一番難しいのが善意の応急救護なのです。
しかし日本国内の応急救護普及の現場を見てみると、その大半が「善意」や「隣人愛」を全面に出しているものが中心です。
逆に、日本では職業義務としての救護を教える講習はほとんど目にしません。(本来は自動車教習所や運転免許試験場での応急救護は義務であり、善意を前提とする講習とはまったく別物であるはずですが、その区別は私には感じられませんでした)
翻って米国を見てみると、米国にある講習プログラムは「家庭向け」「対応義務のある市民救助者向け」「医療従事者向け」の3つです。
そこに、見ず知らずの人を善意で助ける、というプログラムはないのです。
「対応義務のある市民救助者向け」ファーストエイド講習の中で、必ず言われるのは「職務中は救護にあたる責務がある。しかしプライベートでそのスキルを使うかどうかは任意」という点です。
つまり命を助ける技術を持った人は、いついかなるときでも助けなくてはいけない、のではなく、リスクをふまえた上で、覚悟を決めて臨め。助けないというのも選択肢だと明言しているのです。
心肺蘇生やファーストエイドを崇高なものとして、高見に置くのではなく、その現実を伝えるという点で日本にはないスタンスです。
これをアメリカ的なドライで冷めた考えと感じる方もいるかも知れません。
このあたりの価値判断は皆さんにお任せしますが、少なくとも日米で救命や応急処置を教えるスタンスは明確に異なっている、という事実はぜひ知っていていただきたい点です。
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